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コラム

なぜ私たちは「全部自動化する医療AI」を作らなかったのか

技術がしてはいけないこと

前回は、医師の仕事が、なぜ「診察」だけでは終わらなくなり、記録という重い仕事を抱えるようになったのか、その背景について書きました。
では、その構造に対して、技術は何ができるのでしょうか。
そして、何をしてはいけないのでしょうか。
私たちがkanaVoを考える中で、最初に決めたのは「できること」ではなく、「やらないこと」でした。

「全部自動化できる」は、魅力的な言葉に見える

生成AIの進化によって、医療の文書作成も、技術的にはかなりのことができるようになりました。
会話を記録し、要点を整理し、それらしい文章にまとめる。条件がそろえば、ほぼ自動で形にすることも可能です。
「全部AIに任せられたら、楽になる」そう考えるのは、とても自然なことだと思います。

自動化による間違いは、医療では許されない

医療の文書は、他の文書とは異なり、単に整っていれば良いものではありません。
何が事実で、何が判断で、何がまだ確定していないのか。それらが、慎重に区別される必要があります。
もしAIが、もっともらしい文章を自動で作り、それが「正しいもの」として扱われてしまったら、その責任は誰が負うのでしょうか。

自動化が進むほど、人は「考えなくなる」

もう一つ、私たちが懸念したことは、自動化が進んだときに起きる変化です。
AIが作った文章は、とてもそれらしく見えます。だからこそ、人は「まあ、これでいいか」と思ってしまう。
医療において、この「まあ、これでいいか」は、とても危ういものです。

文書は「作業」ではなく、医療の一部

カルテや記録は、単なる事務作業ではありません。
それは、診察を振り返り、判断を整理し、次につなげるための、医療行為の一部です。
もしその全てをAIが肩代わりしてしまったら、医師が考えるための時間や、立ち止まるための余白まで、一緒に失われてしまうかもしれません。

私たちが選んだのは、「任せきらない」という設計

だから私たちは、「全部自動化する」ことを選びませんでした。
AIが前に出すぎないこと。
最終的な判断は、人が行うこと。
AIは、考えるための材料を整える役割に徹すること。
kanaVoは、医師の代わりに考える存在ではなく、医師が考えるための負担を減らす存在でありたいと考えています。

「楽にする」と「奪わない」を両立させたい

医療者の文書仕事は、確かに重い。だからこそ、減らしたい。
けれど同時に、医療者が持っている判断する力や、向き合う姿勢まで奪ってしまってはいけない。
私たちが目指しているのは、「何もしなくていい医療」ではなく、「患者に向き合い考えることに集中できる医療」です。

患者としての願いも同じ

息子を支えてくれた医師や看護師の皆さんは、「患者と向き合うためだったら、いくらでも頑張れる」と話してくれました。
その言葉を、ただの美談にしたくなかった。
だからこそ、パソコンと向き合う時間を減らし、人と向き合う時間を取り戻すために、kanaVoは成長し続けています。