kanaVoは、どんな違和感から生まれたのか
患者として医療機関のお世話になる中でずっと引っかかっていたことがあります。
診察そのものは、とても丁寧でした。それなのに何故か、時々、診察室を出たあとに「聞き足りなかったな」という感覚が残ることがありました。
お医者様の説明が不足していたわけではありません。こちらの話も、きちんと聞いてもらえていたと思います。それでも、あとから振り返ると、「もう少し聞いておけばよかった」「今さら聞き返すのは気が引ける」と感じることがありました。
診察が終わると、医師はすぐに次へ向かう
診察室を出るとき、すぐにパソコンに向かい入力作業を始めるお医者様の様子を見て、「今は忙しそうだな」「これ以上は時間を取れないのだろうな」と、自然と思っていました。
患者としては、医師を急かしたいわけでも、無理をさせたいわけでもありません。
ただ、その場の空気の中で、質問を飲み込んでしまうことがある、というだけです。
もう一つの、忘れられない出来事
このような違和感を漠然と感じながら暮らしていくなかで、大きな転機がありました。
息子が大病を患い、1年2か月にわたり病院のお世話になったのです。
そのときに支えてくれたお医者様や看護師の皆さんは、プライベートを顧みることなく、息子と、そして私たち家族に向き合ってくれました。皆様には、感謝してもしきれません。
「パソコンと向き合うために、この仕事を選んだわけじゃない」
息子と私たちを支えてくれた医療者の皆様は異口同音に、こんなことを仰っていました。
「患者さんと向き合うためだったら、いくらでも頑張れる。でも、パソコンと向き合うために、この仕事についたわけではないんです」
この御言葉は、今でも強く心に残っています。
医療者の皆さんは、決して楽をしたいわけではありません。
本来向き合いたい相手と向き合うために、力を使いたいだけなのだと感じました。
記録は必要だと、分かっているからこそ
カルテや記録が医療にとって不可欠であることは、私たち患者も理解しています。正確な記録があるからこそ、医療は安全に続いていきます。
一方で、「患者と向き合う時間」と「文書やパソコンに向き合う時間」のバランスは、どこかで無理が生じているのではないか。
そう感じるようになりました。
違和感を、そのままにしないと決めた
この違和感は、誰か一人の努力で解決できるものではありません。医療者が悪いわけでも、患者が遠慮しすぎているわけでもない。医療の構造の中で、自然に生まれてしまっているものだと思います。
それでも、
「仕方ない」で終わらせてしまう前に、できることはないのか。
そう考えるようになりました。
そして、kanaVoは生まれた
kanaVoは、こうした患者の体感と、医療者の言葉から生まれました。
息子を支えてくれた医師や看護師の皆さんに、何か恩返しがしたい。
その思いが、「医療者の文書仕事を、少しでも減らしたい」という、私のビジョンの根っこになっています。
kanaVoは、完成された答えではありません。
ただ、医療者が本来向き合いたい相手と向き合える時間を取り戻すための、ひとつの試みです。
まだ、途中です
現場によって、正解は違うと思っています。
だからこそ、作って終わりではなく、考え続け、調整し続ける必要があります。
このブログでは、そうした途中経過や、考えてきたことを、少しずつ言葉にしていきます。